4月中旬の平日に、リフレッシュ休暇をとって訪れました。
東南アジアのシーサイドにあるリゾートホテルのアプローチ風景です。
全景の写真はありませんが、表の道路からの続く並木はパームツリー。
このアプローチからエントランスとロビーを抜けると、目前に広がるは真っ青な海。
南国の風景が、都会の喧騒を忘れさせてくれます。
そんなことを書くと、本当のように思える写真です。
実は大ウソです。
兵庫県の明石にある、とある分譲マンションのアプローチ部分です。
タイル工事は当社が施工しました。
アジアンテイストが感じられるアプローチ部分。
アジアンリゾートの人気に便乗しているのか、かなりのリゾート感を醸し出してくれていました。
マンションという商品に格差を付けるためのオマケとして、一時前は展望フロアやワインセラーやスポーツジムなるものが設置されたりとしていましたが、ここ数年、少し変わったような・・・
外装の雰囲気や景観を変えることって、そんなに高額になるものじゃなし、バブリーではない現在にマッチしているのかもしれません。
都会にリゾート風景なら、ヒーリング効果があるとかで、心身ともにくたびれた現代人にピッタリなのかもしれません。
あるいは、エコロジーや環境配慮とかで、現代向きなのかもしれません。
神戸から明石にかけての沿岸や琵琶湖岸には、何棟かあるようです。
だけど、まとまった地域で統一されたデザインで林立すると、かなりいい風景になるんじゃないでしょうか。
昨日はまさに花見日和。
自宅から片道約1.5km、白川疎水通を散歩しました。
遊歩道になっているので、風景を眺めながら散歩するのには、ちょうどいいのです。
桜並木自体、川端通ほどの派手さはないものの、遊歩道があって車が停車しやすいからか、訪れている人は多かったです。
折返し地点の辺りにあったのが、この見事な枝垂桜。
これが結構、有名なようです。
遊歩道よりもたくさんの人が群れていました。
この枝垂桜、「銀月アパートメント」というところにあります。
銀月アパートメントとは、昭和初期に建てられた、知る人ぞ知る有名な昭和レトロの建築なのです。
共同トイレ・風呂なしといった賃貸アパートらしいのですが、今でもちゃんと入居者がいるようです。
一昔前の昭和時代に思いを馳せ、古き良き日本に憧れを持った人が、住んでいるんでしょうか。
この枝垂桜は、昭和初期の頃から繰り返し花を咲かせて、多くの人を楽しませていたんだと思います。
朝から、職人さんを1名連れて、大阪の千林まで仕事に行きました。
千林商店街を通り過ぎた辺り、人と自転車の往来が激しい所なので、コインパーキングに車を置いて、およそ370m、台車を押して移動しました。
マンションアプローチ床タイルの修繕作業。
職人さんにはお手のもの。午前中で問題なく終了いたしました。
その帰りに本日の最高に出遭ったのです。
何気に寄ったファミリーマート。
何気に通ったお酒コーナー。
おおおーっ
、赤キリ~っ
!!
一本だけ「赤霧島」が置いてあったのです。
迷わずゲット!!
たまにこんな日があるのです。
東北関東大震災は、発生してから10日も経過しています。
なにより、被災地にいる方々は、ものすごく苦労されていることと思います。
ご家族を亡くされた方、家を失くされた方、ご心中お察しいたします。
今回の大震災で、このしばらくの間、いろいろと考えていました。
実のところ、私は今から36年前からのおよそ7年間、小学3年生から中学3年生の間ですが、仙台に住んでいました。
小学校は今の泉区にある南光台小学校、中学校は太白区・山田中学校に通っていたのです。
中学1年生の春に宮城県沖地震を経験しました。
庭にいて、立っていられずにひっくり返ったのを覚えています。
浴槽の残り湯がすべて飛び出してしまい、両親が大事に飾ったいた”博多人形”が全滅、食器やらガラスの破片が散乱していました。
それほどの揺れだったのです。
ライフライン関連なのか、建物や厨房機器が損壊したのか、学校給食センターも完全にストップしてしまったようで、1学期の間はパックされた保存食のようなものと牛乳とパンが給食になっていました。
犠牲者の多くの方は、倒れたブロック塀や家具の下敷きだったようです。
高台の住宅地も地滑りしたり、多くの建物もかなり損壊を受けたようですが、今回のような甚大な被害ではなかったのです。
まだ子供だったからでしょうか。自宅での生活ができましたし、大変だったという記憶はありません。ほどなくして、普通の生活に戻ったような気がします。
今回の東北関東大震災では、住んでいたどちらの地域も津波の被害はなかったのですが、地震のパワーが物語るように、宮城県沖地震とは比較にならない被害があったと思うのです。
両親も、当時の知り合いに連絡を取っていたようですが、その後どうなったのか・・・。私自身も30年以上も前のことなので、もう連絡を取り合える友人もいませんが、知り合いが誰一人として犠牲になっていないことを祈るばかりです。
名取・石巻・気仙沼・南三陸町や釜石など、子供のときに遊びに連れて行ってもらったのですが、あのテレビで見た光景は、かなりショッキングでした。
大学のときの話ですが、選択科目の中で”地震工学”なるものをかじりました。地震振動の周期や、地盤の種類により伝播速度が異なること、マグニチュード数値が少し変わるだけでエネルギーが何倍も変わるとか、免震・制震構造など、曖昧ですがそんなことを学んだ記憶があります。
いろいろな面から見ても、地震と建築というのは深い関連性があるのです。
建築分野に地震工学がなぜ必要なのか・・・
それは、地震のメカニズムを知って、人を地震から守る建物を造るということであり、建築に携わるからには、絶えず意識しなければならないことなのです。
災害を防ぐ意識と実現する技術があれば、津波にも絶えられる住宅を造れると思うのです。
被災地での救命・救助や福島第一原発の対策に携わった自衛隊や警察・消防・海上保安庁の方々には、大変感服いたします。
殉職された方もいるのです。自らの生命の危険も省みず、職務にまっとうしていることに感激します。
福島第一原発の地震に起因した大事故、30万人を超える避難民の方々、崩壊した町の将来など、今後簡単には解決できない問題が山積みであると思います。
東京電力や今後の原子力はどうなるのでしょうか。福島第一原発で発電していた電力は、今後どうするのでしょうか。
太陽光発電はさらに発展するでしょう。
節電関連やエコ技術も、家電メーカーを発端として進歩するでしょう。
地震・津波の予知技術は、もっと飛躍的に進歩してほしいと思います。
防災や救命・救援に関連した技術も進歩し、情報・電子工学の技術も進歩するはずです。滑走路不要・高速のVTOL型救難機やピンポン玉サイズの小型捜索ロボットが開発・投入されるかもしれません。
土木建築分野においても、耐震技術、免震・制震技術が発達していますが、今後はもっとさらに進化発展していくはずです。
建築基準法をはじめとした関係法令も改定されていきます。
今度は、津波に対抗した技術が進歩して、土木建築工学と電子工学が密接に融合したメガストラクチャーなるものが構築されるかもしれません。
これから、国内のみならず世界中から贈られた多大な援助が復興を助けてくれるでしょう。
阪神大震災後の神戸も、見事に復興していると感じます。
様々な技術は確実に進歩して、もし同じような災害が起きたとしても、同じような結果は起きさせないものになると信じます。
私達の会社の組織も微力でありますが、日本赤十字社を通じて援助いたします。
被災に遭われて避難されているすべての人が、これから復活されていくことを祈ります。